会社、親父のトラウマ、自律神経の崩壊、そしてうつ病──
20代、30代に入ってもとハイになって働きまくった。振り返ってみると躁状態だったかもしれない。
怖いものはなく(親父以外は)、人の気持ちも考えることもしないで、出世も出来、お金も入る。
会社組織の中で、比較的成功者の道を歩めていた。
結婚もし、長男と長女も次々と生まれた。
教育こそが子供の幸せと思っていた私は、英才教育を施した(つもりだった)。
何にも考えずそれが一番だと思っていたことに、人の心の業を感じる。
子供にトラウマを与えたかな、と今は反省しているし、途中で気がついたからよかったものの、親父やその親父のような教育を同じようにやっていた。
悲しい人間の性である。
連鎖を断ち切るには「自己の確立」しかない。
ところが、私には自己というも� �がなかった。
あったとおもっていた自己は親父によって形作られていたものだった。
すべて借り物で、押しつけられたものばかりだった。
だから、 自分とは何だろうと思ったときにうつ病になったとも言える。
歩みを止めてしまった、ふと後ろを振り返ったとき、うつ病の兆候が押し寄せてきた。
エンジンの推進力がなくなった時、くよくよ悩むようになっていった。
一生エンジンが動き続けていたら、それこそうつ病になっていなかったかもしれないが、どう考えても人間としてのエネルギーをそこで使い果たしてしまった。
今思えば、あれだけ突っ張って生きてきたら、限界が来てもおかしくなかった。
そんな自分を実は持っていない人間が、ふとした拍子に周囲に、心が飲まれてしまったらどうなるだろう?
どうしていいかわからず混乱したし、自律神経が崩れ、不眠症になり、最後に鬱病になった。
鬱病になった以上、もう会社で出世はできない。
それまでできていたこ とができなくなった。
集中力が続かず、決断力もなくなり、考えがなかなかまとまらなくなった。
あり得ないことだった。
なぜ? どうして? ????マークでいっぱいになり、私の脳はますます混乱した。
コンピュータがおかしくなり、オーバーヒートして、不安を常に感じるようになっていった。
やる気、前向きの姿勢、パワー、疲れを感じない心と体、すべてが崩れていった。
おかしい、おかしい、こんなはずでは…
エンジンを無理矢理かけようとして、最後はオーバーヒートになってしまった。
ひどく疲労感が押し寄せ、マイナス思考にとらわれた。
すべてがなぜかむなしい、やるせない。
仕事がしたくない、朝起きたくない、寝ころんでいたいという気持ちが強くなっていったが、 根性なしのダメ男だと認めるのが怖かった。
転落の人生になってしまった。
理由がわからない。私に何が起こっているのか?
本当は自分は怠け者ではないか? 自問自答に苦しんだ。
一番なりたくない自分になってしまっているからだ。
考えれば考えるほどドツボにはまり、頭の回転も鈍り、不安と焦りが高まった。
転落を食い止めることができず、底なし沼にずるずるとはまっていった。
そのときはなぜうつ病になったのかわけがわからなかったし、いつかは気分も向上しているだろうと思っていた。
一時の気の迷いだと言い聞かせた。
しかし一向に気分は上向かなかった。
精神科に通おうと思った。
薬を飲んでいるうちによくなる、一時的な疲れだと思いたかった。
病院通いでは、その日� �来ることはなかった── が、心の風邪にかかったという認識でいた。
だから、薬を飲めば治ると、うつ病について軽く考えていたことは否めない。
うつ病は心の風邪なんかじゃなく、難病指定されてもいいくらい重い症状だと気づくのはのちのことだった。
抗うつ薬を飲んで、気分が幾分落ち着くことができた。
仕事の能率はほとんど変わることはなかった。
ミスが増え、暗記力が低下し、言葉遣いも饒舌が悪くなった。
体も変調をきたし、食欲が低下、胸の圧迫感、頭痛、寒気、性欲低下、胃痛と次々と動きにくい体になっていった。
職場でのストレスと人間関係
話は前後して、うつ病に転落するまで、世間的に順調な出世だった。
内心では私の周りはおもしろくなかったと思う。
人間関係でも融通が利かなかった私は敵を知らずに作り始めていた。
自己中心的な親父の性質が自分にもあった。
一番親父の嫌いなところを、おそろしいことに持ってしまっていた。
猛烈に走っていたときは、私は孤立、孤独感をあまり感じないで生きてきた。
ところがその思いにとらわれるきっかけとなることが起こってしまった。
はじめて人間一般が恐ろしいと思った。
心をむなしさが支配するようになっていった。
会社での対立と行き詰まり
ある役職に就いた私だが、当時二つの派閥に分裂していた。
簡略化していえば、副社長の派閥と専務の派閥で、どこでもあるような紛争だった。
私はずっとお世話になっていた専務の側についた。
わがままにやってきた私が順調にやってこられたのも専務のおかげだった。
彼がいなかったらもっと早く潰されていただろう。